俺たちに満腹はない
先日来、私のココログではWillcomのW-ZERO3を使った話がよく出ますが、客観的に自分の使い方を見てみると、スケジュール管理をメインとしたPDA的な使い方でもなく、本来の姿であるPHSでもなく、
コンテンツ消費端末
になっていることに気がつきました。
動画も見られる、音楽も聴ける、電子書籍を購入して読書もできる、これらをこの小さいハコに詰め込み、ひたすら消化しているわけです。
この、”消費して消化している”という部分が、iPodを使っているときには感じられなかった部分です。iPodで音楽を聴いている分には、一度聴いたものでも何度でも繰り返し楽しんでいたので、「消費していっている」という感覚はほとんどありませんでした。
ところが、iPodは今や動画に対応し、PodcastやVideocatといった日々使い捨てていくコンテンツをも含むようになってきています。
最初は、「アマチェアにも発信できる機会が開かれた!」と考えていたのですが、ここ数日、別の考えにも思い至りました。
#遅きに失した感もありますが(苦笑)
Appleは携帯情報機器の宿命に気づき、必死に手を打っているのではないか。
携帯情報機器は
常に飽きさせないモノで
あり続けないといけない
最初は手持ちのCD、次にオンラインでの音楽購入、それから無料で提供されているPodcast、今は動画…、iPodのPodは豆などの"さや"を意味するそうですが、我々は中身の毎日違う"豆"を求め続け、食べ続けようとしているのですね(苦笑)。
AppleがiLifeシリーズで、PodcastやVideocastの制作環境を充実させていっているのは、既存のコンテンツホルダーの身動きの重さを分かっているからでしょう。より多く、より新しいコンテンツをAppleは欲しているのです。iPodエコシステムというものは、iPodの周辺機器市場ではなく、創り手と受け手の循環ととらえるべきなのかもしれません。
ここまで書いていて、ふと思い至ったことがあります。
Apple自身もコンテンツなんだ
常に飽きさせない新しい話題を提供し続け、その発表を劇的にするために秘密主義を貫く。なるほど、たしかにコンピュータ会社として見ていたら「その秘密主義ではサードパーティも困るだろう」と思いますが、コンテンツそのものだと思えば納得がいきますね。鮮度とインパクトが命ですから(笑)。
Appleのシンボルマークであるかじりかけの林檎。その由来は「噛む(bite-バイト)」と、コンピュータのデータの単位である「Byte(バイト)」を掛けたものだ、と聞いたことがありますが、今やこのシンボルマークが意味するのは
なのかもしれませんね。
そうあり続けていてほしいです。
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