オリンピックで思い出すこと_01
第1回の近代オリンピックは1896年、今回と同じギリシャで行なわれました。14ヶ国 280名(しかも古代に倣って男子のみ)という大会だったそうです。
大会最終日のマラソン競技、最後の大舞台で地元ギリシャのスピリドン・ルイス選手が劇的な優勝を遂げます。記録に残っている話はここまで。
※上記は JOC-オリンピックの歴史 で読むことができます。
朝日新聞に載っていたその記事は、そのスピリドン・ルイス選手のお孫さんが語った秘話でした。
当時、貧しい羊飼い(水売りの行商が正しいそうです)だったルイス選手は地元の名家の娘さんと恋に落ちていたそうなんです。家柄も財産もない彼に結婚は叶わぬ夢でした。
あきらめかけていた時、ふと目に止まったのがオリンピックの出場選手募集。脚には自信を持っていたルイス選手は、まだ誰も知らないオリンピックの出場にかけ、ギリシャ代表選手として出場することとなりました。
陸上競技で、ギリシャ選手の優勝がないまま迎えた最終日のマラソン大会。想像以上に過酷なこのレースでルイス選手の頭にあったのはただ一つ。恋する女性との結婚。
奇跡は起こります。
残る距離もわずかとなったところで、なんとトップに!
そのまま競技場に入り、熱狂した観衆の見守る中、優勝の栄冠を手にするのです。
一躍、国民的英雄となったルイス選手にはいろいろなご褒美(たしか牛だったような)が与えられました。
#訂正します。多額の賞金の申し出を断って、荷運び用の馬だけいただいたそうです
恋の行方は…?
そう、この話を語ったお孫さんは二人の愛の生き証人だったのでした。
昔、こう聞かされて育ったそうです。
"おじいちゃんはね、愛するおばあちゃんのために走ったのよ"と。
今でも、この話は忘れられません。
The comments to this entry are closed.
Comments
泣けますね。感動です!
やはり人間は何か一心になると底力を発揮するんでしょうか。
まことにスモールワールドで申し訳ないですが、中学3年の時、友人の彼氏が体育祭の100m走で1位になりました。同じ種目だった友人も、後に続けと言わんばかりに真っ赤な顔をして走り、見事1位!
未熟ながら「愛の力かぁー」と感じた事が思い出されました。
Posted by: コングBA | 2004.08.20 01:10 PM
>コングBA様
読んでいただいてありがとうございます。書いた後で調べてみたら、最近他の新聞にもこの話が載っていたんですね。
ウチの母方の祖父母にもそれなりのロマンスがあったそうなんですが、それはまた別の機会に…。
Posted by: Solid Inspiration | 2004.08.21 01:00 AM
わたしもいろいろ見比べてみました。(読売・毎日・東京新聞掲載の共同電)
読売の記事にだけ「愛のため、国のため走った」と書いてありますね。
この話の成り行きからすると「国のため」というフレーズが水に浮かぶ油のように思えるのですが、どう思います?
読売新聞のスタンスからすると、「愛のため」だけでは我慢できないんでしょうかね?
スピロスの心境について、わたしの想像をホームページに書きました。できましたら、お読み下さい。
Posted by: 滴水 | 2004.09.05 11:16 PM
>滴水さま
お読みいただきありがとうございました。お教えいただいたサイトも拝読いたしました。
私がこのエピソードを読んだのは少なくとも5年以上は前のはずです。その時にも、"国のため"という言葉は(朝日新聞でしたが)なかったのではと記憶しております。
ご拝察の通り、読売新聞の"国のため"というフレーズには違和感を禁じ得ません。ルイス選手においても、そのご家族の方にもそのような思いはなかったでしょう。
#それがギリシャの誇りとして語り継がれたとしても
お調べになった記事にあったはずですが、ルイス選手はベルリン大会にてヒトラーに招かれたときも、己の信念を胸に秘めてささやかな抵抗を試みていらっしゃったようです。
http://be.asahi.com/20040807/W21/0001.html
愛する人のため、ということが国家のためという言葉よりも、より個人的なことだというように読売の方は解釈してしまったのではないでしょうか。
ルイス選手は愛に生きました。それは国家などという枠組みを越えた全人類的な精神のありかたです。
話を知った全ての方がそこに共感し、心に刻んだことであろうことは間違いないはずです。
何しろ、この私を含めた誰もがその"国のため"というその言葉など、記憶の片隅にも残していないのですから…(笑)
Posted by: Solid Inspiration | 2004.09.05 11:51 PM